一流を育てるために!! 父親ができること

8歳、2年生のサッカー少年が、自分の思う道に、はばたくこと
そのために、父親は何ができるのか?

力を抜いて

このゲームに勝つ方法の話です。



そもそも、本人に素質がなければ勝てません。
本人にとって、他の習い事と同じたち位置にしかないのなら
もしくは誰かにやらされているのなら
さっさとやめて、他の可能性を探るべきだと想いますが
この話は無しにして進めます。



たった二つです
情熱と合理性です。
父親の情熱と合理性です。



情熱に関しては、全員合格のはずですから
残るは合理性です


幸せは感情が生み出すものですが
このゲームの攻略は合理性の徹底追及でしかないのです



このブログにおいていろいろと堅苦しい話をしてきましたが
一番というか、唯一というか伝えたかったことは
私の論理の品評会ではありません
自分なりの合理性を追求しましょう

ということなのです


帰りの車で説教しているお父さん
イライラした姿を子供に見せるお父さん
今日の反省を公園での課題にしてしまうお父さん
長短を理解していますか?
イレギュラーな説教をしていませんか?
それはあなたの論理の内側ですか
飛び出してませんか?

プロにはなれなかったけど親子でよくがんばった
と思うのならそれがあなたの幸せ
でも、このゲームではその時点で敗者ですよ
もしかしたら、その程度の情熱の時点で不合格なのかもしれない
感情を情熱ではない何かに浪費されてるのかもしれない
いや、情熱と合理性がつぶし合っているのかもしれない。
いずれにしても敗者です。


とはいえ、たかがゲームですから
子供をサッカー選手にするためのゲームですから
力を抜いて、頭を使って、心で感じる
サッカーと一緒です
人生そのものです
この時間を楽しみましょう




最後に
半月と短いブログでしたが、
私の言いたい主旨は言い尽くしました
長々と続けるのは本意ではありませんので
ここで失礼をいたします
ブログを読んでくれた皆さんに感謝します
ありがとうございました

成功

成功っていろいろありますよね
金を得る
地位を得る
名誉を得る
子供をサッカー選手にする。


ただ、前回お話したとおり
それはただの成功であり、その先に幸せなんてありません。
嘘だと想うのなら試してみてください。ほんとにないですから



じゃあ、成功とは何なのか。


私なりの答えはゲームです
金を得るための
地位を得るための
名誉を得るための
子供をサッカー選手にするための
ゲームです


子供たちが大好きなTVゲームと本質的に同じ
実はたいした価値なんてない
でも、すごい楽しいゲームなんですよね
仕事も一緒。攻略の難しい楽しいゲームです


子供たちは勝手に自分の人生を選んで、勝手に本人の思う幸せをつかみます
親が教育しなくても、自分の思う道に育っていくんです
じゃあなぜ父親がサッカーに関わるのか
それが父親の、父親のためのゲームだからです



次回は
ゲームにかつための方法をお話します。

幸せと成功

今回は、「幸せって何だろう」がテーマです。
はっきりいって気持ち悪いです
共感してくれる方もほぼいない自信があります
これはあくまで次回への前段なので
力を抜いてよんでくださると助かります


さて



「今のあなたの姿があなたが望む幸せの形です」
どうしたら幸せになれるかなんて考える必要ない
もうすでにあなたは幸せを持っているのだから




今の自分じゃ満足行かないと本気で想ってる人は必ずそれに向かい打開します
しかしそんな人は、たどり着いた景色に満足しません
また、新たな景色を探すものです


満足はいってないけど努力ができない人は
満足はいってないけど努力はしない・変化はしない自分が理想の姿なんです


目の前のことを闇雲に努力する人に変化は訪れません
それは努力することそのものに美学のある人だから
努力し続けるための状況しか生まれません




誰もが理想どおりの人生を生きています



極端な例として、縁起の悪い話ですが ならびに代弁者として
自殺してしまう人、彼らも不幸ではないんです
もう絶えられないから命を絶つのではありません
もっと私を見てほしい。もっと私を愛してほしい。
後悔してほしい。忘れないでほしい。
彼らなりの幸せを得るために、死という選択をするのです
経営者の自殺は切腹に近い。
倒産とは人に迷惑をかける行為だから
この命で許してというメッセージなのです
他人からしたら下らんことでも 本人は本気なんですね


成功すれば幸せになるわけでもない
幸せとは成功を意味するものでもない


じゃあ成功とは何なのかという話を
次回したいと想います

デュエル

わたくし、デュエルにも違和感を感じるんです
もちろんジュニア年代ですよ。少なくとも3年生くらいまでは



球際、寄せ、そういう単語しかしらないあのころよ
時代の波とともに強調されてきてるようにも想います



本来、ディフェンスってもっと奥深いものだと想うんです
奪うのか、遅らすのか、足を出すのか出さないのか
危険を感じる力、状況を読む力
そんなことを失敗しながら感覚的につかまなきゃいけない年頃
感覚をつかむために失敗をしていい年頃



まだそれを理解仕切れない年代
だからこそデュエル=精神論=がむしゃらさ
私にはこう聞こえるんですよね
なんとなくでもデュエルを理解している子にはデュエルなんて説かないと想うんです



オフェンスの練習台として必要であることは確かですが



がむしゃらにデュエルができるチームは強い、少なくとも負けない
ここも大人の判断基準に物申したいところです



決定力不足

日本代表レベルの選手にダメだしするのもアレなんですが
これは日本人の国民性が大きく影響してると想うんです


なんか一生懸命すぎる



エリア内でのシュートを見てると
日本人は一生懸命シュートをしてるように見える
その点欧州のストライカーは感覚を感じてシュートをするんですよね
一瞬ずらす余裕がある。状況しだいで判断を変える余裕がある。
瞬間的に冷静になるんですよね
つまり、技術の差だけではないゴール前での遊びがあるんだと想うんです。
それをメンタルという言葉で片付けてしまいがちですが
文化として本当に必要なのは、遊びという感覚なのだと想います



ただ、日本人にも遊びへの憧れはあって
その遊びを危険のない中盤でやりたがるんですよね。
欧州ではシンプルにやるんですが
という滑稽さを、私はいつも感じてみているんです





それをジュニア年代に落とし込んでも
同じ文化が繰り広げられている



それは
勝つためにどんなイメージを持ってプレイするか
ではなく
勝つことが命題だから


がむしゃらにやるんですよね
大人ががむしゃらを求めるんですよね
がむしゃらな時期を越えると、
今度はマニュアルを与えるんです
結果を得るためにね




決定力を付けるために
ジュニア年代に対する大人の目を養う必要がある
大人の評価基準を変えていく必要がある
結果の求められない低い年代であればあるほど
その意識が必要だと想います。


密集したゴール前で、また自陣の最終ラインで遊べる選手を
そしてそこへの評価ができる文化が
ジュニア世代に出来上がると、将来は変わってくるはずです